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ぐらいあります。また、鉄道が物資の輸送に使われております。波止場の近くを通っております。そういった意味でウォーターフロントは非常にアクセスの確保が難しかったわけです。西側駅がここにあります。
アーガーブリゲ地区ですけれども、このところですが、これはかって民間所有のアーガー造船所があったところでした。これは非常に重要な大きな会社でありまして、最盛期には従業員2,000人を抱えていました。そして、1982年に造船所が閉鎖されますと、所有者はエンジニアリングとコンサルタントの仕事を始め、そしてこの造船所の地区をオフィスニーズに合わせた形で開発することを望んだわけです。1980年に電車用のトンネルを西側駅につくり、それによって鉄道が要らなくなりました。新しい高速道路とオスロトンネルが1994年につくられました。電車と自動車用のトンネルによりまして市庁舎の広場は車の出入りが禁止されました。そして、レクリエーションに開放されたわけであります。
ビョルビカ、東側でありますけれども、輸送施設が数多くあります。これに対して新しい解決策を20億ノルウェークローネを使って再開発するということが考えられています。ドルに直しますと3億ドルです。これによりまして都市開発用の土地が利用できるようになりますし、また環境も改善します。このビョルビカ・プロジェクトについては、本日は詳しくお話しいたしません。
(S3)このオスロ・ウォーターフロントの計画でありますけれども、これは国際的なアイデアコンペをべースとしております。これは1982年に行われまして、170の応募がありました。一番上のイラストがこのコンペで勝ったものであります。そして、下がそれをもとに法的に決まったものであります。この地域エリアプランでありますが、最終的に1988年に政府の承認を得ております。これが最初の法的なエリアプランでありまして、町とフィヨルドとの間の関係というものを強調しています。現在、ピパビカのプロジェクトは2つの主な要素があります。まず1つは、輸送解決策を鉄道、そして自動車トンネルをべースとして提供するということ。このモーターウエーのトンネルでありますが、それはここから下を通って、そしてまた地上に出てくるということです。このトンネルができることによりまして、この町とフィヨルドとの間のバリアを除去することができます。それからもう1つは、アーカ一ブリゲにおける都市開発であります。これが新しい魅力的な機能を持たせるということであります。アーカーブリゲというのは、下の写真の中央左寄りのところです。
(S4)この写真はアーカーブリゲ・プロジェクトで、もうほぼ完成しております。1992年の写真です。アーカーブリゲ・プロジェクトは、金融緩和が行われていた時期に行われました。したがって、民間資本投資が非常にファイナンスがたやすく、また経済も非常に好況を呈していたわけです。アーカーブリゲ・プロジェクトのコンセプトは5つの重要な要素を含んでいます。まず第1は、アーカーブリゲの開発をいわば民間と、そして
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